2012. 07. 10

亀から猿

こんにちは。日記の更新をなまけているうちに7月になってしまいました。。。。もう1年の半分が過ぎ去ってしまったんですね。あーあ。…いきなり「あーあ」…はあんまりですね。すみません。

そういえば先日、新橋演舞場で猿之助→猿翁/亀治郎→猿之助/香川照之→中車/香川政明→團子…の襲名 & お披露目の公演に行ってきました。お目当ては「亀治郎→猿之助」です。

歌舞伎をちょこちょこ見るようになってから、なるべく亀治郎さんの出演のものは見るようにしてきました。歌舞伎=伝統芸能…という感じですが、亀治郎さんは歌舞伎をとおして表現したい「なにか」がはっきりある役者さん…というのが一番伝わってくる舞台をつくるっているように思えて、歌舞伎のことをよく知らないわたしでも、退屈せずに見ることができたからです。何度か歌舞伎に足を運ぶうちに、亀治郎さんが出演しない歌舞伎も楽しく見ることができるようになりました。見る方がだんだん慣れてきた…ということになるのでしょう。それでも亀治郎さんの歌舞伎が一番の楽しみだったことにかわりはありません。

猿之助襲名が決まったときの記者会見は、香川照之さんの中車襲名がすごい話題でしたが、わたしは亀治郎さんが猿之助という大きな名まえを継ぐことが決まったのにもかかわらず、ものすごく亀治郎…という名まえにこだわっているのが印象的でした…。。。面白かったのは亀治郎さん本人だけでなく、実父の段四郎さんまで「亀治郎」にかなりこだわっていたことです(段四郎さんが初代亀治郎だったこともあると思いますが)。まわりをみまわしても、将来染五郎さんが幸四郎を襲名しても…あるいは菊之助さんが菊五郎を襲名する日がやってきたとしても、親までふくめて「染五郎」「菊之助」にそこまでこだわるとは思えないなあ…。。。まったく不思議な名まえ「亀治郎」です。

さて肝心の公演は…ま、個別の演目にかんして…あれこれ書くことができるほどの歌舞伎通ではないのですが、亀治郎さんもさることながら、猿之助さんが猿翁を襲名し、8年間とおざかっていた舞台にふたたびあらわれたことの重みのほうが大きかったような気がしています。猿翁さんはなんとしてもご自分がしっかりしているうちに澤瀉屋のゆくすえの目鼻立ちをつけておきたかったのでしょう。そういう意味では、亀治郎→猿之助/香川照之→中車の襲名よりは香川政明→團子お披露目のほうに、今回の世代交代のほんとうの意味が隠れているような気がしました。ちなみに香川照之さんが襲名した中車…はもう九代目。猿翁/猿之助/段四郎/亀治郎…などの名まえより歴史があります。先代の(八代目)中車は昭和46年没なのですが、ふつうに舞台をつとめたあと帰宅して急死したので、亡くなる当日まで舞台に立っていた珍しい役者さんでした。昔の日本映画やテレビにも出演していたのでいまでも映像を見ることはできます。ちょっと不思議なオーラがただよってる方です。現・猿翁のおじいさんの弟にあたるのかな…。中車の名まえが復活したのも素晴らしいことですね。

七月はまだこれから昼の部の公演を見ることになっているので楽しみです。

写真◉四代目猿之助さんお目見え(笑)